昨日はダライ・ラマ法王の法話が東京・国技館でありました。
過去の経験からすると、こういうときバツの悪い思いをするのは大抵質疑応答です。思い入れが強すぎる人なのでしょうが、聞いていてアレレと思うような質問をする人が毎回必ず出るのです。
しかし今回の質疑応答の最後の質問ではいつになく盛り上がりました。質問者は十代と思しい少女で、自分が嫌いなのだがどうしたらいいか、どうしたら自分を好きになってあげられるのか、という内容。
「自分を好きになってあげられる」などという甘ったるい言い回しがもう、テレビの影響なのか何なのかそれこそ「アレレ」の範疇なのですが、この質問への法王の回答は熱のこもったものでした。
まず、他人に対する慈悲を持つためには自分を大切にすることが必要だということを言って、自己嫌悪を否定。そしてその次がポイントなのだけど、自分が嫌いだというのは、何か問題を抱えているときの自分が嫌いなのであって、リラックスしているときや楽しみを感じているときの自分は嫌いではないはずだ、そうでしょう? と質問者に確認したのです。口を両手で押さえながら頷く少女。であれば、そうした問題が起こらないようにすれば、自分を嫌いにはならないはずだ、と法王。
なるほど、そうなのだ。自己嫌悪といっても、四六時中切れ目なくいつでも自分を嫌い続けているわけではなくて、何かしら特定の条件下での自分を嫌うというだけなわけです。私の理解が正しければ、すぐれて仏教的な発想だと思いました。嫌いな自分という確固たる実体があるわけではなく、ある条件に応じて発生している現象にすぎないのであって、その条件がなくなってしまえば嫌いな自分というものも現れなくなるということです。
問題が発生したときは、自分が駄目なのだと思うのではなく、克服する良い機会だととらえて勇気を持ちましょう、と力強く励ます法王。いいなあ。
本当は、近所のお寺とかでこういうアドバイスをくれる人がいるといいのかもしれませんね。
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