WebやWeb広告の普及とともに、プライバシーが問題になることがあります。Web広告業者の行動がときにプライバシーの観点から軋轢を生むこともあります。
Webとプライバシーについて触れた記事などを見ていて残念に思うのは、プライバシーの歴史についてきちんと調べずに自分の主観的な印象だけで書かれたものが多いことです。
Web広告業者寄りの主張には、プライバシーの概念は時代とともに変わるものだから、今問題とされることもいずれ問題でならなくなる、といったものを見かけることがあります。こうした主張は、プライバシーの歴史を知らずに書かれたものと思います。
歴史の教えるところでは、法的な意味でのプライバシー権という概念は、19世紀に印刷や電信技術の発達によって可能になったイエロージャーナリズムとともに生まれたものであり、20世紀後半には情報通信技術の発展によって意味内容を拡大されました。発生した頃のプライバシー権とは「ひとりにしておいてもらう権利」という消極的な意味であったのが、20世紀後半には「自分についての情報をコントロールする権利」という、より積極的な概念へと拡張されました。(参考: 堀部政男「プライバシーと高度情報化社会
」岩波新書、名和小太郎「個人データ保護――イノベーションによるプライバシー像の変容
」みすず書房)
つまり、Web広告擁護の主張とはむしろ逆に、技術が進展するほどプライバシー保護の必要性が認識されてきたのです。
この歴史を敷衍するならば、近い将来、Web技術の濫用によってプライバシーが脅かされる機会が増えるほど、プライバシー概念はより強化されていくという想像が可能です。
権利というのは大体において、何か人間にとって大事なものが脅かされていると感じることを、今までに無い言葉で明文化することによって発見・定式化されるものだと思います。まだ名前のついていない脅威が迫ってきたならば、それに応じた新たな権利概念が発明されるはずです。例えば、昔は日照権という概念はありませんでしたが、技術の進歩によって高い建物が簡単に建てられるようになることでその概念が発見ないし発明される、という具合です。
先日、東京で情報処理学会の全国大会がありました。その展示ブースを見ていると、プライバシーに配慮した技術というのが売りになっているものが複数見受けられました。今後、プライバシーへの配慮を欠いた技術は競争力を失っていくのかもしれません。
ただ、日本において懸念されるのは、技術を熟知したプライバシー擁護団体が存在しない(ように見える)ことです。アメリカという国は、欧州諸国と異なり、プライバシーよりも商売を優先する企業が幅をきかせているような印象があります。しかしその一方では、EFF (電子フロンティア財団)のように、ネット空間の自由を守る一環としてプライバシー保護に目を光らせている団体が活動してもいるのです。自由とプライバシーにはどういう関係があるか。プライバシーは自由の基礎なのです。このことが日本で十分に理解されているかどうか。