都市の最近のブログ記事

大阪府知事の橋下氏が「大阪都」構想というのを言っています。主張はある程度分かるのですが、これは我が国が大都市制度をきちんと整備してこなかったためのもので、大阪だけの問題にしてはいけないと私は思います。

そこで、以前から妄想してきた五都制というものを、今こそ開陳しましょう。

今は何でも東京に一極集中していますが、これはもうやめたい。それで地方分権だとか道州制だとかいわれていますが、一向に先に進む気配がない。

それで、考え方を少し変えて、我が国の5つの大都市圏を「都」として編成してはどうかというのが私のいう五都制です。

まず、大阪・神戸・京都を一体化して「阪神京都府」とし、政治上の首都とする。そのうえで、以下の4つの都も設ける。これらの「都」は、中核となる都市とその周辺都市をまとめて効率的に管理運営する。

  • 北京(ほっけい)札幌府: 欧米向けビジネスの拠点。都市圏人口約250万。
  • 東京(とうけい)江戸府: 国内向けビジネスの拠点。都市圏人口約3000万、世界最大の都市圏。
  • 中京(ちゅうけい)名古屋府: 製造業の拠点。都市圏人口約500万。
  • 西京(せいけい)福岡府: アジア向けビジネスの拠点。都市圏人口約350万。
五都制

アジア史に詳しい方はピンとくると思うのですが、この命名は、中世にモンゴルから中国北辺を支配した遼の五京をヒントにしています。

札幌は空路で行くと欧米に近いし、福岡はアジアに近い。こうした地域特性に応じた拠点とするわけです。現状では人口が東京江戸府にかなり偏っていますが、グローバル企業を北京札幌府や西京福岡府に移すなどすればそちらに人口を流すことができると思います。

地域分割論ばかりが先行する道州制議論に対して、こうした大都市圏を核とした議論は一石を投じるものになるだろうと思います。

東日本大震災によって東京集中の弊害が意識されるようになりましたが、地域分散、バックアップという意味でも、この五都制は有効に働くだろうと思います。

(とここまで書いたところで、既に似たような発想が書かれたウェブページがあるのを発見してしまいました。これでは二番煎じのようになってしまうので公開をやめようかとも思いましたが、重視する観点が微妙に違うようにも思いましたので、これはこれで公開することにします)

防災科学技術研究所が提供しているサイト「地震ハザードステーション」では、「30年 震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布図」といった地図を見ることができます。

この地図を見ると、関東〜東海〜関西のあたりは色が濃いことが見て取れます。東名阪+札仙広福の7大都市圏で色が薄い、つまり大地震に見舞われる確率が低いのは、札幌・広島・福岡です(もっとも、5年前に最大震度6弱の福岡県西方沖地震というのもありましたが...)。皆さんのお住まいの地域はどうでしょうか。

地震災害による企業活動の中断を避けるには、こういう知識を活用して、地震の少ない地域に拠点やバックアップ設備などを置くと良いのだと思います。

「地方は〜」という言い方に以前から違和感を抱いていました。私が札幌出身のせいかもしれません。首都でないという意味では札幌は確かに「地方」ですが、しかし「地方は」として言われることが札幌にはあまりあてはまらないように感じることが多かったのです。

最近ようやく分かってきたのですが、世間で「地方都市」というときには、人口30万〜50万くらいの、県庁所在地かその次くらいの街が念頭に置かれていることが多いようです。そうか、そうなのか。

だとすると、こうした「地方」の枠には、札幌(人口約190万)はもちろん、仙台(約100万)、広島(約120万)、福岡(約150万)といった都市は収まらない。これら4つの都市はまとめて「札仙広福」などということがあります。「東名阪」の3大都市圏の次の都市圏です。

思うに、都会の好きな人であっても、住みやすいと感じるのはこの札仙広福クラスの規模の都市ではないでしょうか。都会の利点を十分に亨受できる一方で、一足のばせば自然を楽しむことも容易です。

〈東京〉対〈地方〉ではなく、その間がいいのではないかと思います。

メガ地域の時代

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リチャード・フロリダ『クリエイティブ都市論』は刺激的な本です。

交通・通信技術の発達によって世界のどこにいても変わりなくなる、という「フラット化」の考えが一方にあります。それに対して著者は、実際にはどこでも同じになってはいず、むしろ大都市圏への集中が一層進んでいて、世界はフラットというよりも鋭い凹凸のある「スパイキー」になっている、と指摘します。それならば、自分はどこに住むべきなんだろうか、どういう都市が人をひきつけるのだろうか、というのが本書のテーマです。

現代の都市は単独であるのではなく、いくつもの都市が複合して巨大な経済圏を形成しています。著者が独自の手法で分析した経済圏の単位を「メガ地域」といいます。アメリカ東海岸のボストン、ニューヨーク、ワシントンと連なる地域を一体とみなして「ボス゠ワッシュ」と名付ける、などといった具合です。

日本には4つのメガ地域があるとします。規模の大きな順に、「広域東京圏」、「大阪゠名古屋」、「九州北部」、「広域札幌圏」です。中でも「広域東京圏」は世界最大のメガ地域だとしています。日本以外の東アジアには、「ソウル゠釜山」、「上海」、「台北」などのメガ地域を挙げています。

日本、特に東京近辺にいると、ともすると日本国内は「東京 vs その他地方」のような構図でとらえがちですが、上記の4大メガ地域という視点でとらえるのが、より未来的な考え方かもしれません。もう少し日本国内に特化した見方をするなら、「東名阪」+「札仙広福」の7大都市圏でもいいでしょう。

都市の魅力として本書では美観の重要性を挙げています。要するに、富をもたらすクリエイティブな人材は美しい場所にひかれるということです。都市の美しさという面では、日本の各都市はまだまだ進歩の余地があります。また、マイノリティを含む多様な人々を受け入れる寛容性、開放性も重要だとします。他人と違うことをするクリエイティブな人材にとっての居心地の良さに関係するということでしょう。

時代が都市圏間競争に移行し、人材の流動性が高まれば、なにも東京にこだわることはないと考えるクリエイティブな人材も増えるでしょう。もっと自分にあった土地で活動したいと考える人材をひきよせる受け皿を各都市が用意することが、都市圏の競争力強化につながります。

思うに、杉田聡『クルマを捨てて歩く!』(講談社+α新書、2001年)は、世に出るのがいささか早すぎたのかもしれません。

この本は、クルマを持たないことの効用を、個人レベルのものとして説いたものです。クルマを持たないことには、地球環境や渋滞問題、排気ガス問題、振動問題、交通事故問題、等々の大きな問題に対して効果があります。本書でももちろんそうした点に触れていますが、視点はあくまでも「普通の市民の一個人としてどうか」にあります。このことが、本書を読みやすくしている最大の理由でしょう。

個人として、というのは、たとえば、自動車を所有しなければお金がこれだけ浮くという現実的な話から、子供が外を歩くうえで自動車がどれだけ危険かといったことや、地域づきあいへの影響、歩く楽しさに至るまで、研究紹介から著者自身の体験や感想まで交えて書かれているのです。丁寧な文体と楽しそうな雰囲気もあいまって、読んで共感する人が多いのではないでしょうか。

本書の著者は、北海道は帯広市在住だそうです。「地方ではクルマは必須だから...」という話は、本書を前にすると成り立ちません。

ただ、何キロでも歩くという筋金入りの著者はあまりにも筋金入りすぎるところがあり、たとえ自転車が自動車のような悪影響なしに速く移動できるとしても、自転車より歩いた方がいい、というラディカルさにはなかなかついていけないかもしれません。適宜、自分のライフスタイルにあわせた読み替えをした方がいいでしょう。

この本が出版されてから8年経ち、本自体は今や新刊として入手することは困難になったようですが、社会的状況はあまり変わっていないように見えます。CO2を減らしましょう、とは言われますが、家庭部門のCO2排出の最も多くを占める自動車を減らそうという声はなかなか聞こえてきません。「無駄なアイドリングをやめましょう」という呼びかけはあっても、「無駄な自動車の使用を控えましょう」と聞くことはまずありません。

もし今この本が改めて発売されたら、どういう反響があるだろうか、以前よりも話題になるだろうか、と、少々興味があります。

クルマを減らす方法は自転車だけではありません。むしろ、自転車だけでは片手落ちといえるでしょう。路面電車やバスとの組み合わせが有効です。

以前訪れたスイスのジュネーブのある通りでは、路面電車と自転車のみが走っていて、自家用車は通っていないという所もありました。歩いていて楽しい魅力的な街でした。

路面電車を中心とした商店街をトランジットモールと呼ぶそうです。トランジットモールにおける路面電車の役割は「水平エレベーター」と呼ばれることもあります。デパートを垂直移動するエレベーターになぞらえて、商店街を水平に移動することからこう呼ばれるのでしょう。

報道を通じて知る限りでは、全国各地の商店街の人たちはなぜか自動車を減らすことに消極的なように見えます。路面電車の構想に反対する人というの大抵商店街の人なのです。クルマを減らすと客が減ると思っているのでしょうか。

しかし、クルマというものは「通過していくもの」である一方、歩行者は「そこにいるもの」なのだから、歩行者を増やした方が街はにぎわうはずです。街を自分の足で歩く人をいかに増やすかを考えた方が、活性化のためには有効です。