文字の最近のブログ記事

先週は用事でまた函館に行っていました。趣味の写真はまた後ほどとして、ちょっ と文字の話を。

函館市内の看板などを見ていたら、気になる文字がありました。携帯電話からTwitterに投稿した画像を使って紹介したいと思います。

まず、函館の「函」の字。この画像を見ると、「函」の第1画が第2画とつながっています。函館の人はよくこういう書き方をするようです。国字を研究している笹原宏之氏は、小樽の銭函についてこうした字形の例を写真で挙げていますHNGでこの字を検索してみると、やはりこうしたつながった形のものが見えるので、手書きではよくこういう形になるものかもしれません。手書きの形は活字と同じではないという例といっていいと思います。

それから、別の看板にあった「与」の字。この画像を見ると、「与」の最終画の横線が縦線と交差しない形になっています。これは中国語用のフォントでよく見掛けるので「中国の与」だと思っている人がいるかもしれませんが、そういうわけではありません。私の理解するところでは、この字はもともとこう書かれていたのが、書き方の癖で縦線と交差するようになって、それが定着して活字にも使われるようになったもののようです。HNGで見ても交差したものはないようです。

街を歩くと、いろいろ気になる文字にでくわすことがあります。

財前謙『新常用漢字196 ホントの書きかた』(芸術新聞社)という本が面白いです。去年の常用漢字表の改訂によって追加された漢字について、明朝体活字と対比させて手書きの書体(主に楷書。行書も)を紹介するものです。

活字と手書きとで字の形が違うということは、普段あまり気にしない人が多いと思います。例えば、「北」という漢字の左下の部分は活字と手書きとで線の組み合わせ方が異なります。また、「令」という字の最終画のあたりは形が違います。普段私たちはこういう違いを無意識のうちに無視して処理しているわけです。

そうした活字と手書きの違いというのは、学校で習うような字についてはよく知っているものの、今回常用漢字に追加されたような字についてはよく知らない、ということが多いのです。

例えば、常用漢字への追加で話題になった「鬱」という漢字。明朝体活字では、中に「※」のような形が入っています。この部分は、手書きでは「米」のように書くものだそうです。活字だけ見ているとこういうことに気付く機会がありません。こうした例が、案外あるのです。

特定の地方自治体が問題にしている「葛」の字だとか、しんにょうの点の数についても言及があります。

手書きの書体と活字の書体との違いを知らずに、外字だとか異体字だとかいわないよう、気を付けたいものです。

また、それぞれの漢字について、通用字 (ニュアンスは異なりますが異体字と大体同じだと思えば良いでしょう) を挙げています。これによって漢字使用の多様さを知ることができます。が、あまりに多様なので字体整理をしたくなる気持ちも分かる、と、私などは思ってしまいました。

漢字の字体の多様さを認識しつつも、字体整理の意義を尊重する、そのバランスが必要なのかもしれないという感想を持ちました。

塩竈の塩と竈

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塩竈市のウェブサイトに、塩竈の字についての説明があります。

「竈」という字が難しいので、筆順を動画で示しています。これは親切。

塩竈という地名にはいくつか文字のバリエーションがあります。塩竈神社には「鹽竈」と書かれていますし、JRの駅には「塩釜」のように書かれていたりします。

整理すると、「塩」か「鹽」か、「竈」か「釜」か、という選択肢があるわけです。

「塩」と「鹽」は異体関係にあるので、どちらでも同じ字です。だから、好みや場面に応じてどちらを使ってもいいといえます。

一方、「竈」と「釜」は、意味の異なる別字です。両者は相互に置換え可能ではありません。

だから、鹽竈神社に由来するこの地名を書くのに「塩竈」と「鹽竈」はいいとしても、「塩釜」はちょっとおかしいはずです。

ただ、塩竈市では、「塩釜」と書かれたものは「塩竈」のことだと解釈するような運用がなされているそうです。

神奈川県川崎市の高津区役所の前で、目をひくものがありました。

まずひとつは、役所の壁面に設置された高津区役所の文字。

川崎市高津区のサムネール画像

もうひとつは、石に彫られた高津区の文字。

川崎市高津区の彫られた文字のサムネール画像

壁面の方の文字は、ゴシック体としてよくある形です。活字として一般的な形、いわゆる「くち高」です。

一方、石に彫られた方の「高」の字は、なべぶたの下がいわゆる「はしご高」のようになっています。ただし、中の横線が2本でなく1本のように見えます。というか、線というよりも点のように見えます。

これは、伝統的に手書きの書体ではなべぶたの下がはしごのような形になることが多いことを反映していると考えられます。同じ字でも、ゴシック体のような活字体ではなべぶたの下が口の形になります。

聞くところでは、東京の最高裁判所でも、石に彫られた文字はいわゆる「はしご高」の形につくっているということです。これもやはり伝統的な手書きの書体に則ったものでしょう。伝統的といえば、楷書のお手本とされる九成宮醴泉銘 (唐の欧陽詢の書) でも「高」の字ははしご高です。

これは書体による違いであって、どちらの形が高津区の「正式な表記」だとかいった筋合いのものではありません。同じ言葉、同じ字を書くのでも、書体によって形が異なるのです (もっともこれは当たり前の話で、形が違うからこそ書体が違うというのですが)。

手書きで「はしご高」のように書いても活字にしたら「くち高」になる、逆に、活字で「くち高」に印刷されているものを手書きで「はしご高」に書く、というのは普通のことです。これは技術的な制限で仕方なくそうなっているのではなく、そもそも文字の形というのは書体によるのだということです。

こういうことは文字に詳しい人の間では常識的なことのようで、大熊肇『文字の骨組み』では、「『はしご高』にこだわるのではなく、『くち高でもはしご高でもどちらでも良い』ということにこだわってほしい」(原文では「はしご高」と「くち高」はそれぞれ一文字) と述べられています。

文字コードについての議論ではこうした「はしご高」のようなものを異体字のようにいうことがありますが、しかしこれは例えば「北」という字が手書きと活字とで線の組み合わせ方が違うのと同じ話であって、異体字という言葉はあまりそぐわないように私には思われます。

先週、札幌に行って、北大などを散歩してきました。

その折、北大の総合博物館も見学してきました。入るのは初めてです。

北大総合博物館

この中に、文字の観点から面白い展示がありました。

3階の化石の骨格の展示の説明文が、だいぶ前の時期 (戦前?) に手書きされたものらしく、字体が今日普通の印刷物に見られるものとは結構違いがあったのです。

例えば、「今回」という言葉の「今」や「回」が、楷書に見られる形だったりしました。「今」は屋根の下が片仮名のテの形、「回」は中の口がはしごの形のもの (はしご回?) になっていました。

また、「骨」という字の中のカギが、今日の字体では右側につくのが、逆の左側につく格好になっていました。中国の簡体字と同じ形です。かつてUnicodeのCJK漢字統合が問題になった頃、「中国の『骨』」というような言い方がよくされていましたが、日本でも見られる形だったのですね。このことは小池和夫『異体字の世界』にも書かれています。

形が少々違っても、意味や読みや用法は今日の印刷字形の文字と違いのない、同じ文字であることは言うまでもありません。

さらに、かぎ括弧 「」 の向きが、普通は左上と右下にカギが来る格好をするものが、この展示では、左下と右上の位置に配置されていました。かつてはこういう書き方もしたのでしょうか。私はかぎ括弧については詳しくないのでどういう事情なのか分かりません。

さてこの文がいつ書かれたかですが、確かデスモスティルスの展示だったと思うので、すると展示説明のウェブページによれば1933年の発見だというので、それからそう遠くない時期に書かれたものだろうと推察します。

写真を撮ってくればよかったのでしょうが、妙に遠慮して撮らずにきてしまいました。気になる方は北大まで見に行ってみてください。

今回の大震災で、被災した人の安否確認のための手書きの名簿をデジタル化しようとして、漢字表記をどのようにコンピュータにうつすかでなかなか難儀していると聞きました。電子化するためのガイドが作られたという風にも聞きます。

確かに、手書きの漢字を電子化するのには、文字や書体についての知識が必要で、一筋縄ではいかなかったりします。

ここで気にしたいのは、人名の漢字表記のコミュニケーションコストです。文字コードの面倒くさい事情や「外字や異体字」の不毛な話をさておくとしても、例えば、キクチさんという人が菊地なのか菊池なのかとか、タロウさんという人が太郎なのか太朗なのかとか、アベさんが阿部なのか安倍なのか安部なのかとか、紛らわしい面倒の種は無数にあります。

そこで、いっそのこと、名前の公式な表記は片仮名を第一にしてしまってはどうかという発想が出てきます。

コイズミ首相の次の総理大臣は安部さんだったか安倍さんだったか阿部さんだったか分からなくなっても、アベシンゾウとさえ書けば、手紙の宛名書きでもなんでも、一向に失礼でない、という風に決めてしまうのです。失礼かどうかというのは、所詮社会的な決めごとに過ぎないのだから、便利なように変えてしまえばよろしい。

それどころか、名前の表記の第一を片仮名にして、漢字表記はオプション扱いにしてしまってもいいかもしれない。今の戸籍は漢字の名前だけあって読みは知ったことでないという風になっていますが、むしろ逆に、仮名文字の表記を第一にしてしまうということです。

仮名文字ならば、声に出せばそのまま伝わるのだし、漢字がどれだったかを気にする必要もない。今回のような緊急時には特に利点を発揮するでしょう。名簿はまず片仮名でガーッと作ってしまって、後で余力があれば漢字を追記して同姓同名を見分けるという風にできる。

実はこれは私のオリジナルなアイディアではなくて、何か漢字についての議論の中で見かけたものです。具体的にどこで読んだのかは忘れてしまいました。最初に読んだときは私もかなり抵抗を感じたのですが (実際、抵抗を覚える人が多いだろうから、実現するとは思っていません)、今回のような事態が発生すると、実務的に有力な方法なのではないかと思えてきます。

以前台北のホテルに宿泊したときのこと。

ホテルの人が手渡した印刷物に、私の名前の「啓」の字が、第1画の点が下とつながっている形で印刷されていました。これを見てちょっと懐しい気持ちになりました。

というのも、かつて子供の頃、私の祖母が、私の名前を書くのにこの形で書いたことがあったのを思い出したからです。子供の私はその字を見て不思議に思いました。が、これによって私は、漢字にはいくつか違う書き方をすることがあって、それらは区別する必要がない、ということを知ったのです。

文字を知るということは畢竟、異なる字形にもかかわらず同じ字だと認識できるようになることなのでしょう。そんなことを考えた台北滞在でした。

この前とりあげた『中谷宇吉郎随筆集』に、何箇所か「日本字」という言葉が出てきていて、興味深く思われました。この言葉についての説明は特に書かれていませんが、日本で使われる文字を指していることは明白です。漢字や仮名をひっくるめてこう呼んでいるようです。

「日本字」という言葉は国語辞典にも見えず、一般的な言葉とはいえないでしょう。しかし、言語としての「日本語」と区別して文字のことを指すのには好都合な言葉だと思います。

コンピュータを使っていると文字のトラブルを言い表すのに時々「日本語が表示できない」のような言い方をすることがあります。こういうとき、本当は「日本字が表示できない」と言えば、より正確に事態を表現できます。なんとなれば、「Kore wa pen desu.」のようなローマ字だって言語としては「日本語」だからです。画面が文字化けしているときに本当に問題にしたいのは言語でなく文字です。

「日本字」という言い方が普及すればいいのにと思うのは私だけでしょうか。

著と着

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「著」と「着」が異体関係にあることは、10年以上前に出た「JIS漢字字典」初版のコラムを読んで知識としては知っていたのですが、新しい本にしか触れていない私は、実際にそのように使われている例を知りませんでした。

が、今現在現役で販売されている本の中にも、そういう例があることに気付きました。

岩波文庫で出ている中村元訳『ブッダのことば』(私の手元にあるのは2009年の第51刷)には、「執著」と書いて「しゆうじやく」とルビの振られている箇所が頻繁にあります。また、「愛著」に「あいじやく」とルビの振られている箇所もあります。

闇雲に「著」ばかりなのではなく、「落ち着く」という言葉の表記には「着」が使われていたりします。執着や愛着という語の表記については割合最近まで「著」が使われることが多かった、ということなのでしょうか。

手持ちの国語辞典を見てみると、大辞林第二版には「執著」の見出しはなく、広辞苑第五版には「しゅうじゃく」の項に「執着・執著」の両方が載っています。広辞苑第五版では「しゅうちゃく【執着】」は「しゅうじゃく」を参照するようになっています (大辞林・広辞苑とも最新版でないことをご了承下さい)。

大熊肇『文字の骨組み』ではこの字について、もと同じ字であったことが説明されています。遅くとも江戸時代には「著・着」の意味的な使い分けがあったとのことです。

新潮文庫から出ている太宰治『津軽』には、太宰自身が描いたと思われる津軽の略図が掲載されています。

この図は全て手書きなのですが、その中に「海」という字が「海」の形に書かれている箇所もあります。

図の中に「海」という字が出てくるのは「北海道」「津軽海峡」「日本海」の3箇所です。ここで、「北海道」については「海」の、「津軽海峡」については「海」の形につくられています。「日本海」については、筆の運びは「海」のようで、しかし中の点ふたつはつながった形になっています。「海」とも「海」ともとれるような形です。

ここには「海」と「海」を区別して扱っているような意図は見受けられません。「北海道の『正式な表記』は『北海道』だ」と太宰が考えていたとは思われないのです。

太宰にとってこのふたつの字体は区別して扱うようなものではなかったのでしょう。

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